痛みの記憶のキャッチボールをしていませんか?

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痛みの記憶のキャッチボールをしていませんか?

ONENESSに還ろう

2015/12/27 痛みの記憶のキャッチボールをしていませんか?

ONENESSに還ろう- I am Healing 通信 vol.125

 

痛みの記憶を持ち続けていませんか?喜び、嬉しさ、楽しさ、感謝を放って、幸せなキャッチボールを。

11月半ばからトリニティに記事を書いています。そちらと重なるものもありますが、ご覧いただけたら嬉しいです。いいね!クリックも、ぜひ!よろしくお願いいたします。

 

痛みの記憶のキャッチボールをしていませんか?
喜び、嬉しさ、楽しさ、感謝を放つなら、幸せなキャッチボールが始まります。

 

痛みの記憶を持ち続けていませんか?
例えば、旅行に行こうと計画を立てながら、具合が悪くなったら嫌だなあなどと考えてしまうことがあると思います。
楽しい計画に没頭する以前に、お腹は大丈夫かな、寒くて風邪引かないかな?などと。
実際、かつて経験した旅行を思い出す時、あの時お腹を壊して辛かった、頭が痛くなってしんどかったと、最初に思い出しませんか?
身体の痛みは物質的に感じ、明らかな場所があるため、記憶がされやすいのです。
旅行中の美しい光景よりも先に、そうした思い出が出てくることがあなたにもあると思います。
または、恥ずかしい経験をしたとか、ひどく疲れただとか。

 

次に、「あなたの小学校時代の思い出をひとつ、今浮かんだものを話してね」と尋ねると、
「友達に仲間はずれにされて悲しかった」
「修学旅行の直前に怪我をして行けなかった」
「隣の席の男の子がいじわるした」などなど。
なぜか、痛みの記憶が飛び出す人がたくさんいます。
楽しかった思い出もたくさんあるはずなのに。
ここで言う痛みとは、体のどこか場所ではないのですが、心に感じた痛みのことです。

 

「運動会はどうだった?」と尋ねると
「あ〜かけっこで転んだんだよね、擦りむいて痛かったな。」
「惜しいところで1番を逃して悔しかった」
「友達がズルして頭にきた」などと。
お弁当を食べて、みんなでわいわい応援したりと楽しい思い出もあるはずです。
ところが、最初に出てくるのは痛みの記憶が多いのです。
ここでは、身体と心のどちらもあります。

 

「高校時代は?」「初めてのバイトは?」「初めての仕事は?」
ほとんどの人が、最初にぽんと飛び出すものが痛みの記憶です。
失敗して落ち込んだとか、怒られてがっかりしたとか。先生が苦手だったとか。

 

たくさんの思い出の中で、果たして痛みの記憶はそれほどたくさんあったのでしょうか?
楽しかった思い出もいっぱいあるはずです。
それなら、なぜ人は痛みの記憶が最初でてくるのでしょうか?
あなたも、痛みの記憶を持ち続けていませんか?

 

思いはエネルギー、波動です。
何かをみて、わくわくするあの感覚!
素敵なことがあって、うわあと心が舞う感覚!
あーーっ楽しいという心躍る感覚!
それらはどれも軽やかです。つかみどころのない浮きあがるような感覚です。
後で思い出そうとしても、軽やかすぎて思い出すのは簡単ではありません。
しっかり状況を思い出してみてから、やっと、ああそうだった、嬉しかったなあと思い出せます。

 

では、痛みの記憶はどうでしょう?
痛みはとても分かりやすい感覚です。
頭痛、腹痛と思っただけで、すぐに思い出せます。
同時に、嫌だなあ、苦しいなあという反応も思い出せます。
仲間はずれ、無視されたなどと思うことも、
過去に心に感じたことがすぐに蘇ります。

 

痛みはわかりやすい、はっきりとした感覚なのに対し、心に現れる「わくわく、嬉しい、楽しい」といった感覚は本当に軽くて、はっきりとした感覚ではありません。
足や腕が痛いといったように特定の体の部位もないのです。

 

思いはエネルギー、波動です。
「わくわく、嬉しい、楽しい」も「苦しい、しんどい」も同じ、形はなく触れることもできないエネルギーです。
ただ、苦しい、しんどいには、重さがあります。

 

喜び、嬉しさ、楽しさ、感謝を放つなら、幸せなキャッチボールが始まります。
私たちは毎日の生活の中で、友人にキツイことを言われたり、信頼していた人に裏切られたりなどとショックを受けた時など、ふと気がつくと、
そのことを頭の中で繰り返し繰り返し、思い出しながら再体験をしてしまいます。
自分がどれほど痛かったのかを、相手の行動や言葉を思い出して、繰り返し痛みを体験し続けることがあります。
その痛みも体験も、嫌で嫌でしかたがないにも関わらず、気がつくと繰り返してしまうことがあります。
幾度もその場面を頭の中で繰り返しながら、意識の中で再現しながら味わうことをしてしまいます。

 

痛みの記憶は、分かりやすくはっきりとした感覚があるので、再現しやすいのです。
もう思い出したくない!忘れたい!と思いながらも、その痛みをしっかり覚えているので、繰り返してしまいます。
それに対して、わくわくした、嬉しかった、楽しかったという記憶を、私たちは何度も何度も繰り返し味わっているでしょうか?
おそらく、痛みの記憶の10分の1も味わってないのではないかと思います。
今日は本当にツイていた。ラッキーだった!そんな嬉しい感覚を、その後幾度も幾度も、翌日になっても、思い出して、ああ嬉しいと味わっていますか?
なのに、友達の言葉で傷ついた!という悔しさは、その日、翌日、その次の日も、1週間後もひと月後も、思い出して味わってはいませんか?

 

この世界は、すべて自分の意識でできています。
そして、たったひとつの宇宙のルール、自分が与えるものが自分の受け取るもの。
自分が発する波動でできています。

 

現れたものは、鏡として、自分の中にあったものを見ています。
ですが、それは古い古い記憶です。
魂に刻まれているものは、過去につかんだ重いエネルギーです。
本当の私とは、肉体と魂の奥に在る純粋な意識であり、慈悲、無条件の愛そのものです。
本当の私から現れる波動は、わくわく、嬉しい、楽しいといった軽やかな波動です。
本当の私になるために、私たちは生きています。
人生という、物質的に見える世界に、過去の古いエネルギーを解き放つことで、純粋な本来の私に戻ろうとしています。

 

過去のエネルギーが投影されて、さまざまな出来事が起きますが、出来事が起きた時は、古いエネルギーが解き放たれて終わった瞬間です。
終わったものに対して、嫌だなあとまたつかんでしまうと、持った以上、また手放す時がきます。つまり同じような出来事を体験することになります。
これが痛みの記憶のキャッチボールです。

 

痛みの記憶は、わかりやすい確かな触覚があります。
でも、もうそれは要らないものだと感じるなら、手放していきます。
手放すということは、内側から現れる痛みの記憶やそれに対する感情をあるがままに認めることです。
認めることは、好きになるということではなく、ポジティブに捉えることでもなく、ただ自分はこれに対してこのように感じているということを、まさにあるがままに認めることです。

 

自分が放った波動を、自分が受け取ります。
嫌だなあと放てば、嫌だなあが帰ってきます。
あるがままに認めるとき、嫌だなあは放ちません。
あるがままに認めるとは、無条件の愛と言えます。

 

池の中心に石を投げ入れると波紋は池に広がり、岸にたどり着くと、今度は石が投げ入れられた中心に波は戻ってきます。
戻った波紋に対して、嫌だと押し返すと、波はまた岸に向かって動きだし、岸辺からまた中心に戻ってきます。
さらに、嫌だと押し返せば押し返すほど繰り返されます。
ところがその波を、自分が押し返した波なのだと、あるがままに受け入れると、波は収まり消えていきます。

 

痛みの記憶はすでに過去に終わったものです。
思い出すたびに嫌な思いを発信して、自分が発信した嫌な思いを受け取っています。
過去の痛みのエネルギーを、繰り返し味わうことをしていると気づいたときが、終わらせることができるチャンスです。

 

痛みの記憶を、自分自身で壁にぶつけながら1人キャッチボールをしていることに気づいたら、もっと楽しいキャッチボールに変えることもできます。
毎日の慌ただしさの中に埋れている、小さな幸せ、ラッキー、感謝をもっともっと味わいます。
いかに今日がツイていたか、探し出すとたくさんあることに気づくと思います。そうしたところに意識を向けていきます。
嫌なところに向けていた意識を、ハッピーに向けるだけです。
嫌なこともまた、探せばいくらでもありますが、フォーカスするのはそちらではなく、ラッキーの方です。
喜び、嬉しさ、楽しさ、感謝を放つなら、幸せなキャッチボールが始まります。

 

 

 

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