映画に学ぶ「キングダムオブヘブン」「わたしをわすれないで」

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    Posted on 2012年4月23日(月) /カテゴリー: ONENESSに還ろう(メルマガ転載)

    ONENESSに還ろう- I am Healing 通信 vol.57

    神の名の下で行われる戦争を描いた「キンダムオブヘブン」、イシグロカズオ原作の臓器提供の痛切な物語「わたしをわすれないで」とてもヘビーな映画を2本みて、自分の中のなにかがはっきりしました。

    珍しく続けて書きます。

    週末は逗子マリーナ瞑想会をしてきました。
    2日間、ほんとうにあっというまに9回の瞑想をしてきました。
    金曜夜は1時間という睡眠ながら元気です。
    さすが瞑想パワー!!

    木曜夜にレンタル屋さんで映画を借りてみたのですが、ボブ先生がこの映画について話していたので興味を持って見てみました。
    タイトルは「キングダムオブヘブン」実話です。

    イスラエルとエルサレムの戦いが描かれています。
    お互いに違う宗教をもちながらも、その祈る形は変わらない。
    戦う理由はなんだろう?

    神に祈りながら、戦場で亡くなった人々を弔いながら、彼らはなぜ戦うのだろう?

    私なりに得たものは、どちらの神が正統なのか?というより、また、ほかの神は認めない!というより、

    勝つことで、自分たちが信じている神を確かめられる。

    そんな感じを得ました。

    エルサレムを攻撃するイスラエルのリーダーは、エルサレムがしぶとく立ち向かうことに感心さえして、とうとうエルサレムの城壁が落ちた時、互いのリーダーが向きあう様子は、怒りではなく、お互いを認めてさえいる。

    話し合えばお互いが素晴らしい存在だとこうしてわかるのに、なぜ戦うのか!?

    リーダーたちが語る様子が印象的です。
    エルサレムのリーダーが尋ねます。

    「あなたにとってエルサレムの価値はなんだ?」
    その答えは、
    「無だ」

    つまり、なんの価値もないということ。
    それならどうして、多くの命をかけてまで戦うのか?

    「無だ」と答えて立ち去りながら、振り向いてこう付け加えます。

    「だが、すべてだ」

    土地が欲しいわけではない。
    エルサレムの人々を皆殺しにしたいわけでもない。
    エルサレムが憎いわけでもない。
    エルサレムの人々が信仰している宗教をつぶしたいわけでもない。

    なら、なぜ戦うのか?

    それから1000年を越える今に至っても、その戦いは終わっていない。

    そこにあるのは、神を信じればこそ、自分が信じてやまない神が自分を導いているかどうか?
    それを勝利に結びつけている。

    宗教戦争が、これほどまでに信仰心の強い人たちによって行われてきたことを改めて知りました。

    神の名のもとに戦争をする。

    インパクトがありました。

    私たち日本人は唯一、宗教戦争のない国に生まれたことに感謝しました。

    他の国に生まれていたら、先祖から先祖に受け継がれてきた戦いの記憶が、きっと、他の宗教をよく思わないと現れてくるのかも知れません。

    日本は特別な国、和の国です。
    キリスト教も、イスラム教も、仏教も、なんでも受け入れてゆく。

    世界をひとつにするのは、日本なのだと思います。

    戦争ドロドロのヘビーな映画でしたが、宗教戦争がどんなふうに起きたのかが垣間見れました。

    ほんと、日本はすごい国です。

    そして昨日、DVDを返しに行きながらもう1本借りてきました。
    タイトルは「わたしをわすれないで」

    これって実話?フィクション??

    舞台は英国。
    固い寄宿学校で暮らす子供たちの話です。
    泣いたり笑ったり、普通の子供たちの青春時代に思えたものが・・

    ある日、先生によって真実が語られます。
    「子供は大人になったら何になるかしら?
    ある人はスポーツ選手に、バスの運転手に、スーパーの店員に・・・
    でも、あなたたちはそのどれにもなることができない。
    あなたたちの未来は決まっています。
    あなたたちの多くが長くは生きられない。
    あなたたちは臓器提供者としての人生しかないのです」

    そこにいる子供たちは、犯罪者などからコピーされた存在。
    臓器を提供するためだけに生を与えられたのです。

    3人の子供たちの青春が交差しながら、彼らの悩み、苦しみが語られていきます。
    通達がくると、提供が始まります。
    ある人は1回の提供で終了する。
    (ここでは死という言葉は語られず、終了という言葉が使われます)
    ある人は3回の提供で終了する。

    離れ離れになった3人が、そのうちの2人の提供が始まった時運命の再会をします。

    臓器提供をするために厳格に健康が守られ成長した3人。
    過去の互いの懺悔と許しがそこで語られます。
    悩んで、愛して、悲しんで・・
    犯罪者のコピーではなく、等身大の自分自身として自分を認めたいと。
    それは、普通の人間となにも変わらない。

    そのうちの2人が終了したあと、最後の1人に通達がやってくる。
    彼女の最後の言葉は、
    「私の命によって生かされる人と、私とにどれほどの価値の違いがあるのだろう。
    私の身体は私のものではなくても、魂は私のものだと信じたい。」

    これって実話???これは隠されている真実?
    思わず、臓器提供についてインターネットサーフィンをしてしまいました。

    実話と言ってもうなずけるのだけど・・・

    インターネットサーフィンをして臓器提供について考えました。
    コンビ二、郵便局などでシールをもらうことができるそうです。
    臓器提供をするかどうかを身分証明や免許証に張ることのできるシールです。
    また、最近の免許証には臓器提供の欄があるそうです。
    私も次の更新のとき見れると思います。

    私の選択は、「臓器提供はしない」です。

    細胞は記憶です。
    私の魂の記憶です。
    命は魂のためにあります。
    身体は私が行うべき仕事が刻まれたものです。
    命が終わる時は、その身体での魂の仕事が終わる時です。

    誰もが魂の選択で、この身体を得ています。
    私は私で終わらせます。

    長く生きることより、濃く生きることを選びます。

    魂は永遠ですが、身体は魂の乗り物です。
    新しい身体を選択することが出来るのです。

    久しぶりに映画を借りて、どちらもヘビーな内容でしたが、
    自分の中の何かがはっきり見えた気がします。

    お 知 ら せ

    今後の瞑想会の予定です。

    • 4月27日(金曜日)
    • 5月3日(祭日)
    • 5月9日(水曜日)
    • 5月21日(新月・月曜日)

    広島 サイサニャーナ

    • 5月13日(日曜)10:00~17:00
    • 5月14日(月曜)10:00~17:00

    逗子マリーナ宿泊瞑想会

    • 4月20日~21日
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